小泉文夫記念資料室の管理体制

 東京芸術大学には民族音楽学者の小泉文夫の蔵書、楽器等の資料を集めて管理している小泉文夫記念資料室があるのですが、その資料室の管理体制が変わり、資料室の資料が散逸してしまう恐れがあるという話をミュージシャンの大友良英さんのブログで読みました。ほかにも何人か学者の方々がこの話について書いています。*1この署名運動の発起人である西原 尚さんの文章だけではいまいち詳しいことはわかりませんが、西原さんによると大学側は経済的理由から管理体制を変更しようとしているとのことです。
 現在国立大学は経費削減に努めていますし、図書館も例外ではありません。当然このような資料館にも矛先が向くことは考えられます。ただ経費削減のためだけにそんな大幅な管理体制の変更をするのかというのがちょっと疑問です。資料の保存のためというならまだわかりますが…。たしかに助手を置かなければ人件費は削減できますけど、それだけならなぜ資料館の資料を他の資料と混ぜるのかがわからないのです。でもとにかくこれからますますこのような経費削減を理由にした変化が起きてくるのだと思います。なんにしても利用者側と経営者側との議論の場が持てればいいのですが…。

 それとこの資料室のHPには音響資料のデータベースがあって音源もかなりオンラインで聴くことができるようです。すごいもんです。

*1:cf.sumita-mさん(id:sumita-m:20070917) 増田聡さん(id:smasuda:20070911) monodoiさん(id:monodoi:20070911:p1)

アウトソーシングのはなし(『情報の科学と技術』vol.57 No.7)

 『情報の科学と技術』vol.57 No.7はアウトソーシングの特集号です。ちょっと記事を読んでみました。アウトソーシングをするのには目的を明確にしてからやらなければだめだと書いてありました。*1それはその通りだと思います。
 結局アウトソーシングという制度をどう使うかという話です。掲載論文にも書いてありましたが、使うのなら、その図書館にとってのコア・コンピタンスがどうゆう部分なのかをはっきりさせておかなくてはならないでしょう。安い労働力を得たい。司書を自分の組織で面倒見たくない。などの消極的なアウトソーシングの理由ではなくて、広い意味でのサービスの向上やスキルを高めていくために戦略的にアウトソーシングを利用していく必要があるのだと思います。(消極的なものは「アウトソーシング」ではないかもしれませんが…)
 確かにアウトソーシングをすれば安い労働力を得られます。でも目先の経費削減にとらわれて、安い労働力を獲得するためだけに無計画にアウトソーシングを進めていけば、いつかひずみが生じます。図書館におけるアウトソーシングが経費削減に繋がるのは、司書が安い賃金や、不安定な雇用条件に甘んじているからに過ぎません。そんな雇用の状況をいつまでも維持することが図書館の業界にとって良好なものだとは思えないし、またサービスやスキルの低下にも結びつきます。経費削減につとめるのは大事なことです。そのために安い労働力も必要だとも思います。しかし、それと同時に図書館が自身の活動、経営方針をしっかりと示し、図書館の重要性を、しっかりとステークホルダーである利用者と大学経営者に認識して貰い、予算を獲得するのが重要なのだと思います。そしてさらに、図書館側も、委託業者側と共に、業者に所属する司書の雇用条件も考えていかなければならないと思います。そうすることが結果的には図書館の運営を円滑にしていくのではないかと感じました。

 追記

 この記事を書いた後に見つけたのですが、min2-flyさんも『情報の科学と技術』vol.57 No.7ついて書かれていました。

あと、少子化で財政難=コスト削減に対応しなきゃ、って文脈からしか図書館を語れないってことは、図書館が学生や研究者を惹きつける大学の競争資源になる可能性は端っから放棄してるとみなしてよいのかな。(id:min2-fly:20070723)

 その通りだと思います。なぜ競争資源だと考えないのかはかなり不思議なところです。しかし、図書館の人員を削減するその一方で、例えば大学図書館の地域住民への開放という文脈では、図書館を大学と地域の結びつきを強めるための政治的なカードとしてみなしているわけです。大学における「競争力」とは一体何なのだろう。どうも外面だけを良くしようとしている気が…。

*1:島田達巳.「経営におけるアウトソーシング」『情報の科学と技術』vol.57,no.7,p.329

行政と司法

 行政と変換しようと思ったら、暁星と出てきた。
明けの明星のことだ。次の総理は誰だろう。
雲がかかっていて暁星が見えない。

 

 法学の本を読んでいたら、近世までは行政と司法は法の執行を行う点で共通性をもっているから、本質的には同じものだと見なされていたという文章を読んだ。確かに法解釈を伴うという点で同じかもしれない。法解釈にまつわる話で二冊読みたい本が出てきた。法律なんて勉強したこともないし、今回初めて法学の本を読んでいるので、行きつ戻りつ読んでいる。図書館に勤めていると、著作権の問題によくぶつかる。実際には効力がないんじゃないのかというような条文もある。法学を勉強したら少しは理解しやすくなるだろうか。

・『法廷における〈現実〉の構築―物語としての裁判』
・『法解釈の言語哲学クリプキから根元的規約主義へ』

読んでみたいのはこの2つ。一応法律関係だけども、どっちかというと哲学の本なのかもしれない。法哲学という言葉もあるようだし。もうちょっと具体的な判例も見てみたい。概説ばかりだといまいちしっくりこない。

情報検索用サイト、データベース

とりあえずこの2つをメモしておこう。
http://www.jissen.ac.jp/library/ir-link.htm
こちらは実践女子大学の図書館が作っているデータベースリンク集。
1つの大学の図書館がここまで作り上げるのは並大抵ではないと思う。

Newspapers & News Media - ABYZ News Links
こっちは世界の報道機関のサイトを紹介したリンク集。
こちらも便利。一体どうやって作っているんだ。

あなたはコンピュータを理解していますか?

 読んでいるうちに、コンピュータの世界に誘惑されてしまう本だ。コンピュータとは一体何なのかを身近な比喩を用いて、コンピュータに関する科学的な知識のない人に分かり易く解説している。その解説の仕方が秀逸だ。科学に無知な人間は、コンピュータなんてどうせ複雑でわけわからない仕組みで作られているんだろうと最初から仕組みを考えるのを諦めてしまうけど、この本は身近な例を出してコンピュータの仕組みを説明してくれるので、コンピュータが身近なものに感じられる。
 コンピュータは今や人々の生活になくてはならないものなので、みんなソフトの使い方は必死で習得しようとする。でもコンピュータが動いている基礎の部分の仕組みに関しては全く知らない人が多いだろう。もちろんそんなことはコンピュータを使う上では知っている必要はないのかもしれない。でも知っているとコンピュータへの向き合い方が確実に変わると思う。著者はこんな面白いことを言い出す。

人間の5つの感覚のうち、コンピュータは触覚ただ1つを持っているに過ぎません。(p.106)

これはコンピュータがマウスとキーボードからほとんどの情報を得ているということを言い表した言葉だ。このことも当たり前のことなんだけど、言われてみるとはっとする。つまり人間同士のコミュニケーションは多くの場合、視覚、聴覚、触覚などで様々な情報をやりとりしているのに、人間がコンピュータに伝えるときは触覚のみだということだ。よくコンピュータを擬人化して「なんで急いでいるときに言うことをきいてくれねえんだよ」とか言ってしまうのは、このことを忘れてしまっているからだろう。

 専門的な言葉は極力使わないようにしているし、使う場合は必ず詳しく解説してくれる。込み入った話も全然出てこない。ただ、あまりにやさしく解説しようとするせいか、どうしても大雑把になっている気がした部分もあった。そうゆう部分は巻末の参考文献を読んでさらに理解を深めたい。

利用者のマナーと図書館員のマナー

 最近電車の中で携帯電話で話している人をよく見かけます。耳が遠いのかもしれないがずいぶん大声で話している人と、肺活量が少ないのか口に手を当てて奇妙に小さい声で話している人に二分されるようです。どちらにしても電車の中で演説するにしては内容が乏しいように思います。
 電車の中にいるくらいだから当然図書館にもマナーを守らない人がいます。大声で話す人、携帯電話をかける人、飲食する人、本を返さない人、我が物顔でグループ閲覧室を占拠する人々、奇声を発する人、裸になる人、喧嘩を始める人、図書館員を恫喝する人などなど、、十人十色。図書館でマナーを守らない人はどちらかというとナンバーワンよりオンリーワンですね。
 図書館でマナーを守らなくても別に逮捕されるわけでもないし、罰金を取られるわけでもないし、拷問にかけられるわけでもないから、怖いもんなしなのでしょう。というわけで図書館員はいつもマナーを守って頂こうと腐心するわけですけど、なかなかうまいこといかない。いくら注意しても、マナーを守らない方はへっちゃらですので。だから図書館員もどんどん口調がきつくなります。でも流石にマナーを守らない方の眉間に拳銃を突きつけながら、笑顔で「飲食はご遠慮下さい」と言うことはできないので、やっぱりマナーを守って頂くのは難しい。口で言ってもわからないヤツは…なんてもってのほかだし。警察官だってそんなことは許されない。
 じゃあどうすればいいのだろうかと考えてみたときに、ふとじゃあ図書館員はどうだろうと振り返ってみました。図書館員は利用者の皆様にマナーを厳格に守って接しているのだろうかと。言葉遣いは丁寧だろうか。忙しいときに杜撰になっていないだろうか。本を受け渡すときはきちんと両手で渡しているだろうか。利用者の相談に対して満足頂けるように対応しているだろうか。背筋は伸びているだろうか。笑顔で不快感を与えないようにサービスしているだろうか。自分を振り返ってみると、できてない…。利用者に求める前に先ず自分がこれらをきちんとできるようにならなければいけないのだと思います。そしてその上で、どうしてもマナーを守って頂けない利用者の方には、黒いスーツを着て、ネクタイをして、笑顔で、「他の利用者の方のご迷惑になりますので御退室下さい」と言うべきなのでしょう。

図書館の資産

 図書館の資産はいうまでもなく資料なんですけど、でも資産だということは、選書、保存、貸し出し、除籍などの一連の流れは資産運用だということになります。図書館は銀行や証券会社が資産を運用するのと同じくらいの緻密な計画を立てて資産である資料を運用していかなくちゃいけないはずです。
 このような観点でみると現在日本の図書館の一体いくつの図書館が満足な資産運用ができていると言えるのでしょうか。不正こそしなくても社会保険庁に毛が生えたぐらいの計画で資料を購入してはいないだろうか。図書館の資料は市場価格で価値が決まるわけではないので、資産運用の明確な基準を作るのが難しいと思います。でもそれをやらないと、これから図書館は価値のないものだと判断されてしまう可能性がある。説明責任というやつです。
選書の基準は何なのか、保存の基準は何なのか、除籍の基準は?開館時間はどこまで拡大するのか、閉館時間はどの程度必要なのか、アウトソーシングするのにどれだけ費用がかかるのか。日本の多くの図書館は公共施設です。大学図書館であっても、国立大学法人なんかは国からの運営費交付金で運営しています。説明できないなんて言ったら、大臣達のように首になってしまう。気を引き締めてかからねば。