図書館総合展2009に行った・・・が・・・

 図書館総合展の一日目に行きまして、なんか書かなきゃいけないような気になったので書いてます。
 私が参加したのは、「財政危機をチャンスに変える思考と戦略〜低成長時代の図書館サービス指導理念」だったのですけど、結局図書館ってなんのためにあるのよ?図書館員ってなにをする人なのよ?っていういつもの疑問がベースになって、それぞれの経験から好き勝手言うみたいな内容でしたね。上山先生から出されたエアロプレインモデルとか図書館突然死説とかハコモノ積極利用の提案とか岡本さんのオープン志向への誘いとかビジネス支援批判とかはおもしろかったですね。同じ日に行われた「10年後の図書館と大学」の方のかたつむりさんとこのレポートどろぶねさんとこレポートを読んでもやっぱりベースは一緒で、みんな好き勝手言ってるみたいですね。今は業界全体でのブレインストーミングの時期なのかもしれません。
 これからいよいよ図書館戦国時代の佳境に突入して、ブレインストーミングでだされた方向性がどんどん実行されて、trial and errorのなかでさまざまなアイデアや図書館という組織そのものが淘汰されて、落としどころも見えてくるのかなと思います。
 ただ、そのなかで図書館の職員はどんな風に働いているんでしょうね。とくに気になるのは職員のインセンティブについてです。図書館は組織としては職員のインセンティブに関してどのような形でフォローしていくのでしょうか。(ほんとは管理職とか大学の教員とか図書館の経営に関して権力もっている人にはこのへんもっと意見出して欲しいですし、議論して欲しいです。)給与とか賞与とかでやる気を維持するのは限界ありますし、図書館はそれをやるには制度的にも困難ですからインセンティブは組織として、業界としてのパフォーマンスをあげていくのに重要だと思うのですよ。組織としてはフォローしなくてもインセンティブを自分で作り出していくひとも一部にはもちろんいるでしょうけど、それだけにたよるってのもおかしなはなしですから。伸びる企業はみんなそれなりのインセンティブの仕組みをもっているようですし。
 「図書館は教育支援じゃなくて、教育をしなくちゃいけない」とか、「これまでの考え方じゃいけないんだ、民間的発想を取り入れてグーグルとかブックオフを意識してサービスして経営しなくちゃいけないんだー」ってやっても、図書館ならではのインセンティブも作り出せなければ、戦国時代が終わって落ち着いたころには優秀な若者は別の業界に流れちゃって空洞化した組織になってるかもしれませんね。戦国時代だっていうだけである程度のインセンティブは与えられるのは確かだと思うのですが、その類のインセンティブはいまの図書館業界にいる20代30代にどれだけ通じるのか疑問があるんです。
 私自身は図書館という箱に愛着がなく、本への愛情もあまりなく、わりと変化に対して血湧き、肉踊る派なんですが、図書館を愛し、本を愛し、日々おなじことを繰り返し、積み重ねていくようなまったりした雰囲気が好きという人もたくさんいると思うんですよ。とくにこの業界には。40代50代には特に多い気がしてて、しかもその人たちがいま新人採用をしているのだから20代30代にも少なからずいると思うんです。この図書館を愛する粘り強い20代30代の人々は変化そのものがインセンティブにはならないと思うので、組織としてなんらかのインセンティブをフォローすべきかなと思うのです。図書館を愛しているひとに、これまでの図書館を捨てろと言っても効果がないですから、むしろこれまでの図書館のよい部分をどう残し、発展させていくかにインセンティブをもってもらうということが必要なのではないかと思います。
 そのような目で、お茶の水女子大学附属図書館LiSA活動日誌を見直してみると、学生との活動を通じて図書館の職員が自分の仕事を見直し、その仕事の価値や意味を対外的にアピールすることを通して、これまで図書館が行ってきた仕事へのインセンティブを高め、既存の仕事の改良点を見出しやすくし、これから取り組んでいく新たな仕事へのインセンティブに結びつけていくような活動なんじゃないかなと思ったりしたわけです。この活動は、ただほかの図書館がやっているからという理由で新しいサービスや活動に飛びつくのではなく、これまでの仕事を省みつつ新たな視点を取り入れ、必然として新たなサービスに取り組むことで、新たなサービスに取り組むことへのインセンティブを高めることに成功しているのではないかと思いました。勝手な深読みですけどね。
 チームリーダーのもできさんの図書館の仕事に対しての考え方はここにちょっと書かれていました。
 図書館総合展とはあんまり関係ない話になっちまいましたが、お許しください。
 
 
 
 

ARGフォーラム「この先にある本のかたち」に行きました。

第1回ARGフォーラム「この先にある本のかたち」(長尾真 国会図書館長×金正勲・津田大介・橋本大也+内田麻理香)に行ってきました。

詳細な報告はかたつむりさんとこにあります。
いつもありがとうございます。

以下は感想です。
自分が取ったメモを元に興味を持ったことをつらつらと。

長尾館長の話

  • 電子図書館を含んだ出版のビジネスモデルや目次階層構造のはなしは、自分の予想していたはなしとほとんど同じだったので納得。検索が便利になるなあという程度。
  • 書物の解体に関しても話されてました。長尾館長が想定しているのは、他人の文章を引用するためや、他人の文章を批判するために書物が利用されるときの話でしょうかね?

 これに関してはフォーラム参加者のほかの方の感想

●検索の単位が図書のレベルからより細かいものになってきている(というかなるべきである)というのはそうだと思うが、FRBRでいう「著作」のレベルを把握したうえでないと危険ではないかと個人的には思う。
● というのはコンテンツ、テキストというのは単なるデータではなく、テキストにはコンテキストがあるということ。コンテキストを無視して引用や編集を行うことは、マスコミではよく行われており、インタビュー記事などで、発言者の意図と違う使われ方をして問題となることがよくあると聞く。政治家や企業トップの発言の一部だけを使って批判するようなやり方もまたしかり。
●そのような(引用者が引用したいところ「だけ」を読んで使うという)使われ方が増えると、例えば反語的な表現は使えなくなるだろうし、自分と異なる意見をそれこそ引用できなくなってしまう。そこだけ読まれて使われてしまったら困ることになるから。自分の主張以外のものを論述の中に含むことが、リスクが大きすぎてできなくなってしまう。これは説得力のある論証をする上での大きな制約となるのではないか。
●したがって「読みたいところだけを読むことができるようなる」というのは、便利ではあるし必要かも知れないが「読みたいところだけを読む」という読みの姿勢には賛同できない。
●仕組みの問題というより、読む側の問題か。

とありました。これも館長と同様におそらく引用とか批判するときの書物の解体についての話ですね。コンテクストの無視という広い意味での情報リテラシーの話。最後のところにご本人も「読む側の問題」と書かれていますし。
 これ以外に書物が解体されて利用される場合を考えてみると、辞典などを必要項目だけ読みたいとか。あとビジネス書なんかは文章のロジックを厳密に追いかけなくても、ポイントやフレーズだけから勝手に解釈して実践する人もいるだろうから、そうゆうひとはまとめだけ読みたいとか。そんな利用に関しては書物が解体されれば検索の役に立ちますね。

金正勲さんの話

  • 公共図書館電子図書館事業はオプトアウト方式でどうよ。って話はそりゃできればそのほうがいいですが…。図書館補償金の話は、長尾館長の構想している電子図書館を含んだ出版ビジネスモデルとほとんど同じ話に聞こえたのだけど、気のせい?実は合意ポイントではないかと。

 -韓国の事例は勉強になりました。

津田大介さんの話

  • CDと本の違いとして、CDはデータ化してパッケージが変化しても受容のあり方は変わらないけど、本は電子化すると受容のありかたが変化するって話は納得。

 CDからデータ化しても、スピーカーやヘッドホンから聴くっていう音楽の受容の形は変化していない一方で、本の電子化はデバイスが紙の集合からディスプレイに変化して受容の形が大きく変わってしまうから、そりゃあ容易には乗り換えできないでしょうね。津田さんの話にも出たけど、液晶ディスプレイに代わるデバイス、紙に代わる新素材が欲しいです。「電子分流体」方式の電子ペーパーとかですかね。

  • ipodみたいに本の電子化によるライフスタイルの提案が業界として必要なのではという話も納得。私は上記の受容のあり方の話と関係していると思ってます。ipodはイヤホンっていう受容の形を変化させなかった一方で、自分の所有しているすべての曲をCDのアルバムっていう概念を超えて管理し、シャッフルさせるっていうライフスタイルを提案してますが、電子書籍は紙からのデバイスレベルの変化が必要なので、もっと大きな変化を伴った提案になるんでしょうね。まだ想像もできませんが。

橋本大也さんの話

書籍はランダムアクセスには向いていないのではないか。他方でWebはランダムアクセスに向いており、実はGBSのようなものが進んでも文化的にはあまり問題ないのではないかと思うがどうか。

●これは実は最初の長尾館長の話(書物を解体するという)に関する重要な異議だと思うのだが、だれも触れなかった。残念。

とあって、これはちょっと興味をもちました。ふたつほど。
ひとつめ。橋本さんも使えないと思うのはデータの少なさが原因なのかもしれないとおっしゃっていましたが、GBSのデータが増えていけば、量が質に変わる可能性はあると思いました。楽観的観測ですが。現時点で判断するのはちょっと難しいのではないかと。
もうひとつは、データが増え、さらに出版の形が電子化とともに変化すればランダムアクセスを想定した書籍が増えるだろうなということです。それは現時点で「書籍」と呼んでいるものとはだいぶ異なるものになるのかもしれません。

いまんとこは一図書館職員としては技術の革新と出版界の動向を見守るだけですかね。橋本さんの五つの提案はちょこちょこ考えて実践していきたいなと思います。

U40開催趣旨について。(追記)

主催者のひとりのご意見を読んだので、
これについてちょっと付け足しを。

開催主旨についてだいぶわかりやすくなりました。
ありがとうございます。
とりあえず「前向きにいこうぜ」ってことだと飲み込みました。

 でも、以下の部分はイベント運営をする上の決断としては妥当だと感じますが、委託問題に直面しているひとりの内部職員としてはすこし残念でもあります。

U40は、アルバイトさん、委託スタッフ、指定管理者スタッフなどなど、図書館に関わりのあるすべてのヒトが集う会にしたいのです。だから会費1500円なのよ。

委託問題を口に出せば、その人たちと、正規職員との間でどうしても溝ができるでしょう。でも、未来の図書館像を描く上で、こんな溝が必要ですか。

むしろ、彼ら彼女らの話をどんどん聞かないといけないではないですか。

だから、委託問題などの雇用問題は禁止なのです。

 私は図書館の未来(夢?)のひとつの選択肢として委託を考慮すればいいんじゃないかと考えているので、すべての人が集い、そこに溝があるからこそむしろ委託問題を語りたいなと考えてしまいます。
 溝があるのはそりゃそうなんですが、でもせっかく集まるんだから立場を超えて、フラットに語り合いたいなと。ただし、「愚痴らずに」とかを開催趣旨としていれとくのは前提ですが。
 でもさっきも書きましたが、イベント運営としては上記の判断は妥当なのかもしれません。イベントの目的を達成するためには、話す姿勢をコントロールするよりは話す内容をコントロールするほうが実効性は高そうだし、わかりやすいですしね。
 
 ただ、委託問題で思考停止するのではなく、委託問題から思考開始する。そんな考えの人間もいるってことを一応書いておこうかなと思っただけです。

U30のひとりです。

なんかこんな論争があったようで。
でもなんでこんなに論争になるのかよくわからないです。
わからないので久々に書いてみます。

 出る杭は打たれるなんていうのはどこの社会にでもある話だから、ベテランに杭を打たせないようにというのはそんなに不思議な配慮じゃないのでは。むしろ閉塞感が叫ばれる業界では必要な配慮かもしれないですね。
 打たれようがつぶされようが戦い続けるなんてそんな気骨のあるやつばかりいる業界じゃないし、図書館業界の人のかなりの人々が行政の人間なんだから前例主義が跋扈してて、同調圧力が強いのは予想できるのではないでしょうか。
 もしこれまで杭が出てきたときにそれ以外の人間が杭とフェアに議論してきたのなら、いま図書館業界はこんなにあせってないでしょ。人、もの、カネが充足してて文句も言われなかった組織が、労力を使ってゼロベースで議論するなんてことをするはずがないと思いますよ。
 あと、集まると愚痴になるのは図書館業界でも、それ以外の社会でも日常的なことだろうから、明るい話って限定するのもそんなに不思議ではないかなと。ただ、「明るい」という言葉は説明不足だし、誤解を招くと思いますけど。

 それともう一個再認識したのは、外部委託ってずいぶん嫌われているんだなあということ。暗い話の代表として出てきていますからね。


  

ブックハンティングをどう使うか

 少しブックハンティングの話を。ブックハンティングを、図書館員が捉えられてない蔵書に対する学生ニーズを把握するため*1と、イベントを通した図書館の宣伝のために使い、学生の購入希望制度と分業したらどうかなと思って考えてみた。

ブックハンティングの使い方

  • ターゲットを学部の1、2年生などでまだ本格的に研究していない学生とか、これまでの蔵書構築方針で買っているような大学図書館の蔵書に関心がない人にする。
  • 予算はブックハンティング用に組み、その予算の元で購入する資料に関しては独自の蔵書構築方針を定める。(これはけっこう大変だろうな。)
  • イベント的な要素を大きくして、大々的に宣伝する。
  • ブックハンティングで買った資料は通常の新着棚とは別置して、学生が選びましたとアピールする。借りていった学生に感想なんぞを書いてもらえば、それもくっつけたい。貸出された回数なんかもくっつけたら面白いかも。*2

学生の購入希望制度の使い方

  • ターゲットは、すでに図書館の蔵書をかなり利用していて、図書館の蔵書に物足りなさを感じている学生や、研究上必要な資料を購入してほしいと希望している学生。
  • 予算は図書館員、教員の選書予算とは別に専用の予算を組む。(これはすでに結構そうなっているのかもしれない)蔵書構築の方針は、図書館員や教員が選書する方針とほぼ同じで。ただし、論文に関係するものに関しては、精査した上で柔軟に対応。このあたりは先生方とも相談したい。
  • 申し込んでもどうせ買ってもらえないとか思われないように、基準をわかりやすく明示して、宣伝する。こちらは年間通しての制度なので、派手にというより、持続的に宣伝する。
  • こちらも学生の希望でどんなものを購入したのかを常にリストにして発表くらいはしてもいいと思う。利用者の感想なども同じく。サイトにこそっと出すだけじゃなくて、こんなに買ってるんだと図書館内にも張っておけば、お、買ってもらえるかもと思う人も増えるかなと。

あとはバランスか。その図書館がどんな方針で蔵書構築していくかによって、予算配分を決めればいい。

*1:この点に関してどの程度有効なのかという話はid:humotty-21:20080216:1203187728を参照

*2:id:min2-fly:20080209参照

貸出履歴の話

 おもしろくないはなしをします。
 
 朝日新聞で取り上げられたのと、東京の図書館をもっとよくする会の記事が出たので盛り上がった話題みたいだが、なんか読んでいるうちに頭がこんがらがらってきた。混乱しているのは私だけかもしれないが…。
 id:humotty-21:20080124さんが丁寧にまとめてくれているので(感謝)、1つ1つの記事はその辺を読んで貰いたいのだけど、もともと練馬区立図書館が貸出履歴の保存期間を延長したのは、レコメンドサービスのためではなく、資料の汚破損対策のためだった。
 「資料の汚破損対策のために」貸出履歴を保存することと、「レコメンドサービスのために」貸出履歴を保存することを区別して考えたい。「レコメンドサービスのための」貸出履歴の保存の仕方は例えば、doraさんの記事田辺さんの記事など色々考えられるのだろうが、これらの貸出履歴の保存方法はどちらも汚破損対策には使えない。利用履歴と個人情報を分離すれば、当然汚破損本の責任追及は不可能だし、貸出履歴を保存するかしないかを利用者に任せれば、これもまた責任追及はできない。汚破損のための貸出履歴保存はすべての利用者の情報を必要とする。
 なのでレコメンドと汚破損対策の2つの話は同じ貸出履歴保存の話だけど、議論するべき点は異なっているということだ。
 そうゆうわけで「汚破損対策のための」貸出利用履歴保存の話を考えてみる。
 
 東京の図書館をもっとよくする会の記事においては、

  1. 貸出履歴の情報が実際に外に漏洩すること
  2. 実際に外には漏洩していなくても監視されているという圧迫感を利用者に与えること
  3. 貸出履歴をどう利用するか具体的説明がないこと(実際に役に立つのかという疑問、窓口業務を徹底してなんとかしろという話も含む)

だいたい以上三点を理由に貸出履歴の保存期間延長は再考するべきだと書かれている。
 1つ目の理由に対しては、これは民間企業も当然背負っているリスクなんだから、リスクを背負うならやらないっていうのじゃなくて、リスクを背負ってでも資料を守るほうを優先する!と図書館は言うべきなんじゃないのか。責任は取る!個人情報の流用はさせない!とかなんとか。ここは気概をみせたいところ。もちろん、具体的なリスク対策、個人情報の取り扱いの方法に関しては十分すぎるほどの説明が必要だが。
 2つ目の理由に対しても、説明することで理解して貰うことが重要だろう。
 3つ目の理由に対しては、おい、と思う。具体的説明がないのは確かに問題だが、ここで述べられている汚破損対策はあまりに理想論にすぎる。それこそ具体的でない。窓口業務の徹底で乗り切れと主張されているが、まず一人一人の利用者と対面しながら貸出返却処理をしていては、カウンターが足りない。カウンター増やす?じゃあ自動貸出機とブックポストはどうするのか。え?なくす?
 つまり、東京の図書館をもっとよくする会の記事は、貸出履歴保存期間の延長が利用者に与える不信感に関しては指摘しているが、汚破損対策の提案は粗末だということだ。
 練馬区立図書館が迫られている1つの問題(選択)は、自動貸出機やブックポストという利用者の利便性を確保するために、リスクを背負って資料保存のために貸出履歴を残すか、または自動貸出機やブックポストを無くし、利用者には我慢して貰って、リスクを避けるかってことだ。
 後者を選んで利用者に納得いく説明をするのは難しい、利用者サービスという観点から考えて明らかに望ましくないからだ。そして練馬区立図書館は前者を選んだ。ただ、前者を選んでみても、新たな問題が出現する。貸出履歴があると汚破損資料を弁償してもらうのに役立つのかという問題。これが練馬区立図書館が抱えるもう1つの問題なんじゃないのだろうか。
 練馬区立図書館は直前の2人の利用者番号を最長13週間保存するとしたが、この2人というのがポイントだ。資料の汚破損が発見されたとき、直前の1人が「いや、私が借りたときからすでに…」と言ったときに、その前の人まで追求するためなのだろう。でもこれは効果あるのか?2人前となると借りたのが遙か前の可能性もある。そうするともう覚えてもないだろうし。それを考えると、貸出履歴は汚破損対策にはあまり役立たないかもしれない。
 貸出履歴も役に立たず、窓口業務の徹底も現実的でないとなると、別の手を考えなくてはならない。弁償などの対応が図書館員の個人的なスキルに任されていてはいけないだろう。客観的な根拠を示して納得して弁償してもらえるようにしなければ。目立たないきつい仕事だからこそ、当たり前のように完璧にやらないと。こうゆうところをしっかりしないと、どんなにかっこいい新しいサービスを提供しても、利用者に信用してもらえない気がする。

 自動貸出機にデジカメ機能でも付けて、資料が貸出されるときにその資料の状態を記録しておいて、汚破損の場合はそれを参照して責任追及するか。あ…著作権が…。

昭和40年代の図書館マーケティング

図書館がマーケティング
で、実際やってんの? 

やってないよな。やってない。少なくとも私はやってない。

先日、とある大学図書館の古い図書館報を読む機会があった。
昭和40年代のものだったと思う。(詳しくは忘れた。メモすんの忘れた。たしか昭和48年くらい)

図書館員の執筆した記事が載っていた。
そこに書かれていたことは、もっと利用者の声を聞いて、利用者がどんなものを望んでいるのかを調査して、業務に活かそうという話だった。

そう、結局今と同じこと言ってる。もちろん当時はいまほどマーケティングは重要視されていなかったのかもしれないが、でも当時から議論されていたとすると、ちょっとぞっとする。

必要だと認識されているのに実行できないのは、危機意識が欠如(つまり、「忙しいからできない」ということ)しているからだろうか。新しいことやろうとすると、それはもういろんなことがつきまとってくるので。つまりまあ、仕事増えるじゃんと。もうこれ以上無理ですと。現状維持第一主義。それを吹き飛ばす、やんなきゃ給料もらえないみたいなのがあれば違うだろうが。*1

*1:こちらを参照id:katz3:20070621