フューチャリスト宣言
- 作者: 梅田望夫,茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/05/08
- メディア: 新書
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著者はグーグルの思想をこんなふうに紹介している。
そうゆう思想のひとつに、必要とされるところにのみ情報を置くんだというのがある。広告とは情報である、という思想なんです。検索した後に出てくる広告というのは、検索したい言葉が既に入力された以上、その人にとって価値のある情報のはずだ、だからそこに出しているんだ、そうゆう論理です。その思想に合わないところの場所には、一切広告は出さない。(p.23)
広告は街を歩いていればどこでも見ることになる。うんざりするほどに。見たくないもの、自分に必要ないものを押しつけられれば誰だって不愉快になる。通勤電車の中では、人間と広告の区別が付かないほどだ。私にとって不要な広告というものはそんな不愉快なものでしかない。広告の中には、もちろん時々は、おぉ、と思うようなものもあるけれど、大多数が自分には必要ないものなので、不愉快になるときが多い。私は広告というものはそうゆうものだと思っていた。つまり、一回のヒットを打つために、何百回も、何千回も三振しなければならないものだと。
しかし、グーグルの広告戦略はちょっと違うようだ。不特定多数に対する無差別広告というやり方ではなく、広告を情報だと考えて、情報は必要なところにのみ提供するという姿勢を広告においても徹底的に実践している。これは面白い。もちろんグーグルの提供する広告がいくら検索語によって導き出されたものであっても、その検索した人にとって必要な広告ばかりが出てくるわけではないだろう。でも電車の中吊り広告とか新聞の折り込みチラシよりは必要である確率は高い気がする。
アマゾンの広告には時々欲しいものが出てくるし。
ビジネスとして無差別広告と検索エンジン広告のどちらが優秀なのかは私には判断できないけども、もしこの広告のモデルが社会に広まれば、社会における広告のイメージはかなり変わってくるのじゃないかと思う。広告の中身も全く違うものになるはずだ。